シネマカフェ映画業界人ブログ

クラピッシュとベッケルの死生観に泣く

2008年02月08日 by 沖田敦 (プロフィール)   RSS配信

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映画祭2日目。僕たちにとっては実質的な活動初日となった。

セラーとのミーティングの合間を縫って、共通したテーマの感動的なフランス映画を2本観た。

1本はセドリック・クラピッシュの最新作『PARIS』。ロマン・デュリス演じる男には、ある事情から死を受け入れる準備ができている。彼が自分の部屋のバルコニーから眺めている街の人々。直接的な関わり合いを持たない、彼がただ眺めているそうした人たちにも様々な哀しみや喜びがある。クラピッシュはその人たちのサイドストーリーにも巧みにフォーカスしていく。彼が得意とする集団劇だが、ここでは“パリ”という都市の空気と、そこで暮らす市井の人々の“生”が見事にクロスし活写させられている。ラストシーンで、ジュリエット・ビノシュ演じる姉にアパートの玄関で別れを告げ、最期の場所となるかもしれない病院へと向かうタクシーの中から主人公が目にする、陽光に満ちあふれたパリの風景。その風景の中には、彼がかつてバルコニーから眺めていた人々の一瞬の表情がスケッチされている。最期は、後部座席に仰向けになって、抜けるような青い空を見つめ微笑むロマンのショット。自身も癌に冒され再起が危ぶまれたロマン・デュリスの死生観と重なって、静かな感動を呼ぶ。

2本目はジャン・ベッケルの『死ぬ為の2日間(原題:DEUX JOURS A TUER)』。やはり死の宣告を受けたアルベール・デュポンテル演じる主人公が、最愛の家族は愚か、親しい友人にまで人格を変え、悪態をついた挙げ句、急にみんなの元から姿を消す。彼は、彼の少年期に家を出たまま家族を放り出したアイルランドの父親の元に行っていた。父親に対してずっと胸につかえていた想いを吐き出すデュポンテル。母や自分に何一つ責任を果たさなかった父親との確執は、簡単に解けない。そんなある日、父親の提案でデュポンテルは川釣りに誘われるが、その最中激しい発作に見舞われ、倒れてしまう。初めて父親に自分の余命が幾許もないことを告げる息子。彼は終の場所に父親の元を選んでいたのだ。息子は父親の腕の中で静かに死を迎える。父親は最期の“父親としての責任”を果たすために、息子の家族の元を訪れる。何も知らない妻は突然の悲報に泣き崩れるしかない。

たまたま同じ日に観た2つの優れたフランス映画。僕が自分の終焉の時を知ったとき、ロマン・デュリスとアルベール・デュポンテル、どちらの行動を尊ぶだろうか。僕には前者の方が他者への配慮があり、後者は少しばかり独善的な様に思えた。

夜、フランス映画界を支える監督やプロデューサー、セールスカンパニーで運営されていてるユニフランス主催のパーティーに参加。マーケット会場の裏に去年から設営された会場のレストランは、円形でまるでサーカス小屋のような内装だった。ここで会ったピラミデフィルムのセラーから、日本でもミニシアター絶頂期に一時代を築いたジャック・ドワイヨンが癌に侵されており、闘病生活を送っている事を聞いた。何かと考えさせられる一日になった。

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