さぁ、今日からヴェネツィア。早朝パリのホテルを後にし、正午前にはヴェネツィアのマルコポーロ空港に着いた。
しかしここで凡ミス発生。本来ならシャトルバスに乗って、空港脇の水上タクシー乗り場へと向こうのだが、誤ってヴェネツィア駅行きの路線バスに乗ってしまったのだ。気がついた時は既に手遅れ、バスはのどかな市街地をゆっくりと走り抜けていく。20分ほどでヴェネツィア駅に到着。ここからリドのホテルへと向かう事に。
午後1時に宿泊先のホテルにチェックインし、すぐ側の“La Sfera”(VIA E. DANDOLO, 19-30126 VENEZIA LIDO / TEL 041.526.17.22)で軽く昼食。ここは、レストランを吟味している時間はなかったので通りがかりに入った店だった。僕はスパゲッティ・アラビアータを頼んだのだが、麺の茹で加減は思ったよりちゃんとしてた。味も及第点。

午後2時半、映画祭会場に行き、レジスト(登録)を済ませる。僕たちはインダストリアルというカテゴリーに属する、いわゆるビジネス目的で映画祭に参加している人種に振り分けられている。年によって形態や素材は変わるが、登録者にはカタログやIDカードが入った鞄が渡される。
この鞄、今年のヴェネツィアは豪華版だった。トゥカーノ“TUCANO”というイタリアブランドのPCケースで、しかもワイズポリシーのカンパニーカラーでもあるオレンジ色ではありませんか! POWER BOOKの17inchまで入る大きさも使い勝手がいい。けっこうな登録料を支払っている訳だから、この程度の貰い物があっても当然なのだけど、やはり貰い物は単純に嬉しい。
午後4時半、PalaLidoという会場で、オリゾンティ部門に参加している“The U.S. vs John Lennon”を観る。ニクソン政権下のアメリカで、反戦活動を楽曲と、オノ・ヨーコとのパフォーマンスを通じて大衆へとアピールしてきたジョン・レノンと、ヴェトナム戦争の最中でモラトリアム化していく当時のアメリカとの関係性を検証した意欲的な作品。
しかし、僕にはジョンとヨーコのパフォーマンスがコマーシャリズムと呼応しているようにしか見えず(大衆を動かす為には不可欠な要素だということは判っているが)、また作品的にもディスカバリーチャンネル的な編集スタイルが、映画としての文体を薄くしているような印象を持った。

午後6時半、同劇場・同カテゴリーの招待上映作品“Infamous”を鑑賞。大枠の内容はもうすぐ日本でも公開される『カポーティ』と同様、カポーティと殺人事件に関与した死刑囚との交流を描いている。『カポーティ』を観ていない僕は、件の作品と本作を比較する事は出来ないが、ダグラス・マッグラス監督による “Infamous”はかなりエモーショナルな出来だった。映画は前半、カポーティのパーソナリティーにフォーカスが当てられ、小柄で、しかし頭が大きく、ゲイである彼が、独特の話術で周囲の人々を魅了していく過程が説得力のある演出で綴られていく。
中盤から死刑囚との関係が描かれていくのだが、カポーティと死刑囚の関係は、さながら『蜘蛛女のキス』の2人のように甘美で危ういエロティシズムを孕んでいる。この時のカポーティ役のトビー・ジョーンズと、死刑囚役のダニエル・クレイグの演技は見事だ。刑を軽減する事が叶わないカポーティが、死刑囚にせめて最後を看取りたいと申し出るシーンは、その後のラストシーンへの伏線として深い感銘を観客に与える場面である。この作品がもしも『カポーティ』より先に公開されていたら……その事が悔やまれて仕様がない。カポーティの秘書を演じたサンドラ・フロックも素晴らしく、シガニー・ウィーバー、グウィネス・パルトローらゲスト出演の豪華演技人たちも、この映画をさらに忘れ難い物にしている。

午後9時、コンペティション部門の“Syndromes and a Century”鑑賞。タイのアピチャッポン・ウェラセタクル監督の最新作。映画は2つのヒストリーに分けられ、最初のヒストリーでは農村の大きくはない病院が舞台となり、後半のヒストリー2では、都市部の大病院が舞台に設定されている。
この後半と前半はいくつかの共通のキャストで連動性を持たせているが、必ずしも共通性や対比が主題ではないようにも見える。その境は曖昧でもあり、明確でもある。前半の、もし主役がいるとすれば、女医と歯科医だろうか。女医には一途に思いを寄せられている兵役中の若い男が居るが、彼女の方は妻子持ちの男に淡い恋心を抱いている。一方歯科医は、若い僧の治療を施すと同時に、自分の曲を強制的に歌って聞かせている。噛み合ないようで、不思議と心を通わせている登場人物たち。こうしたのどかな光景は、ヒストリー2に移行しても、大きな変化は見られない。
しかしよく留意して彼らを観察していると、ほんの少しその関係性が希薄に見えるといった程度のズレが生じている。何気ない日常の中に潜んでいる幸福の感覚。それが自分たちの身近にも居るような等身大の登場人物たちによって表現されていくのを目撃するとき、言葉では表現しきれない不思議な感動が身体全身を包み込む。素晴らしい映画的体験だ。僕はこの映画に恋してしまった。
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