昨日のアントワープへの強行軍はかなり応えた。朝起きるのが辛かった。これまで総じて天気は悪くなかったパリだったのに、今日はしとしと雨が降っている。僕たちと一緒にアントワープから雨を連れてきてしまったようだ。朝から天気もこんな風だと、疲労感との二重奏で一層気持ちを鈍らせてしまう。でもこんな日に限って、朝から仕事が立て続けに入っているんだよなぁ。
午前11時、シャンゼリゼに近いフランソワ・プルミエール通りのパテ・フランスという映画会社で、プロデューサーのフィリップ・カルカッソンヌ氏と打ち合わせ。カルカッソンヌ氏はパトリス・ルコント監督の『タンデム』でプロデューサーデビューし、その後も『仕立て屋の恋』や『タンゴ』、近作でいうと『歓楽通り』『列車に乗った男』など一連のルコント作品を手がけている。他にもミケランジェロ・アントニオーニやピーター・グリーナウェイ、アンヌ・フォンテーヌ等々……。
実は彼がここ10年来温めている企画に僕もずっと関わっているんだけど、これが一向に前進しない。企画自体がぽしゃっちゃったのかなぁと勝手に推察していると、忘れた頃に「あの企画なんだけど、アツシはどう思う?」と相談が来る。監督も二転三転どころか、十転ぐらいしていて、本当にもう実現しないんじゃないかと不安に思っている。今日の打ち合わせも、「某大物ドイツ人監督が快諾してくれたんだけど、本当にこの監督でいいと思うか?」という相談。そんなの知らねぇよ、と思いながらも、監督が決まらない事には歩を進める事ができないし、取り敢えずその某氏で進めようじゃないかという事に。年内に脚本の初稿をあげて、来年末には撮影に漕ぎ着けたい意向だ。日本人作家の原作を元に新宿歌舞伎町を主に東京で撮影、その独人監督で、著名なアメリカ人俳優を起用、それ以外のキャスト・スタッフはすべて日本人という、この企画。実現すればかなりの話題になると思うんだけど。
午後1時、ジャンゼリゼのラ・デュレ“La Duree”で、ステュディオ・カナル・プリュスのミュリエル、サヤ両氏とランチ。カナル・プリュスは日本のWOWOWのような有料放送局。フランス映画の範囲に留まらず、国際的な映画への投資でも知られている。ミュリエルとサヤは、その製作映画の海外セールスの担当者だ。特にミュリエルとは、彼女が東京に来た時、あるいは僕たちがパリへ行った時、時間が合えば必ず会う事にしている。彼女の話は本当に面白い。いつぞやは、僕たちの依頼を受けて『恍惚』のインタヴューをセッティングするために、ファニー・アルダン本人と電話で話し、交渉してくれた際のくだりを再現してくれたことがある。ミュリエルが電話口で「ファニー・アルダンさんはご在宅ですか?」と訊ねると、受話器の向こうの、まるでトラベスタイトのような低い声が、“C’est Fanny Ardant”と答えたという。この話をする時のミュリエルが本人の口調をあまりにもそっくりに物まねするものだから、僕たちは腹を捩らせて笑い、呼吸困難になってしまうほどだった。この日も彼女の話術に乗せられるがままに、愉しいひとときを過ごさせてもらった。因みにこの日僕がご馳走になったのは、ラデュレ風サラダ。驚いた事に、ミュリエルのおしゃべりに、このサラダの印象がすっかり薄らいでしまった。今こうして思い返しても、どんな味だったか一向に思い出せないのだ。恐るべし、ミュリエル! 写真は右がミュリエル、左が日・英・仏語堪能のサヤ。
午後3時、フォーシーズンズ系列になったジョルジュサンクへ。ここで小1時間ほど、某料理研究家(フランス人)と打ち合わせ。
午後8時、『ピガール』や最新作『あるいは裏切りという名の犬』の演技派俳優フランシス・ルノーと1年ぶりに会食の予定だったのだが、新作映画の取材が長引いて深夜零時にならないと仕事が終わらないというので、キャンセルに。フランシスとは10年来の親交がある。『ピガール』のキャンペーンで日本に来日してもらった時からのつきあいだ。不遇の幼年・青年時代を経て、俳優デビュー。『ピガール』で、夜の街に生きる若者の鮮烈な生をリアルに演じきった。しかし生来の純粋な彼の生き様がフランス映画界とそぐわず、映画出演が激減し、僕はかなり彼の事が心配だった。それが『あるいは裏切りという名の犬』の重要な役でスクリーンで復活。不正の限りを尽くすジェラール・ドパルデューに小便をかける正義感の強い男が、フランシスの役だった。なんて彼らしい役なんだろう。
10年前、東京で会った彼は『深夜カフェのピエール』は自分をモデルにしているんだ」と言っていた。エマニュエル・ベアール演じる娼婦と男娼の刹那的な情愛を描いたあの映画が、自分のデビュー作になるはずだったんだと。しかし監督に演技以外の事を求められた彼は、その名匠と激しく口論し、結果としてチャンスを棒に振ってしまったという。そんな話、映画界では良くある話じゃないか。うまく立ち回って役だけでも勝ち取る事だって出来たろうに。そう思うのだが、それが出来ないのがフランシス・ルノーという男なのだ。今夜会えないのは残念だけど、でも仕事が順調そうでなにより。因みに『あるいは裏切りという名の犬』は映画としても出色の出来映えのフィルムノワールだ。劇場公開の折は、必見である。
フランシスからふられてしまった僕たちは、仕方なく3人だけでカルチェラタンの先にあるインド料理「マハラジャ」へ。ここではヨーグルトときゅうりのサラダ、サモサ、じゃがいもとカリフラワーのカレー、ほうれん草とチーズのカレー、チキンとアーモンドのカレーを注文。パリ最後の夜を、スパイシーに過ごした。いよいよ明日からヴェネツィア。ハードな日々が待っている。
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