「撮る」という言葉は、どこか構えてしまう気がする。
「撮られる」という言葉は、更に構えてしまう気がする。
じゃ、「撮られっぱなし」だったら…。
『ビースティ・ボーイズ撮られっぱなし天国』を観た。
観客の中からマジソンスクエアガーデンのビースティーボーイズのコンサート直前に集められたファン50名。彼等のミッションは
「照明が落ちたら、録画ボタンを押せ!何を撮ってもいい。コンサートが終わるまで撮り続けろ!」
ハンディのビデオカメラがそれぞれに渡された。
「撮る」のが禁止されている場所で、いきなり「撮っていいよ」しかも「撮りっぱなしね」と言われたら、面食らってしまうだろう。モンゴルで「トイレは?」と聞いて、「どこでしてもいいよ」と言われる感覚に近いと思う。
そんな面食らった彼等も、自分も楽しいので、ほとんどがステージを撮っているわけだが、中には観客を撮る者もいれば、途中で我慢できなくなってトイレにそのまま駆け込む様子がリアルに映っている者も居る。
どちらにしても編集した監督のナサニエル・ホーンブロウワー、すなわちビースティーボーイズのメンバー、アダム・ヤウクは、言い出しっぺだろうが大変だったと思う。出来上がった映画は、音楽のクオリティのせいもあるが、ドキュメンタリーを楽しむというよりは、ライブビデオを楽しむ感覚に近い。映像からは25周年を迎えるビースティボーイズが、楽しみながら生きてきたんだろうなぁ光線をビンビン感じる。
「撮られっぱなしって、面白くない?」
アダム・ヤウクが楽しそうに言い出した時の様子が目に浮かぶ。
そんなビースティーボーイズの自由さと電気グルーヴの自由さは、同じ分類なのではないかとふと思うイシコであった。
::誤解がないように言っておきますが、モンゴルもウランバートルなど、トイレがあるところにはありますから。