乗客のまばらな電車に揺られ、本を読んでいたら、手をつないだ母子が車内に乗ってきた。母親がどこに座るか迷っている間に小さな女の子は得意気に走り出し、僕の向かいの4人掛けの席にちょこんと腰かけた。すると母親は眉間にしわを寄せ、その女の子に向かって「そこは座っちゃいけないの」と怒り、中央寄りの席へ彼女の手を引っ張って行ってしまった。女の子はしょんぼりとして、とても哀しそうだった…。
その時、僕が座っていた場所もたまたま優先席だった。立っているお年寄りがいたら、自分の座席が優先席であろうとなかろうと席を譲る。それは常識である。そういう常識を有してる人にとって、車内のどこに座るかはさほど重要な問題ではない。それに元々僕はレストランでもどこでも端っこを好むのだ。(どうして地下鉄の優先席は決まって端っこにあるのだろう?)
若い人は優先席に座ってはいけないというのは間違っている。そういった誤った認識が、優先席じゃなければ譲らなくてもいいという新たな誤った見解を生むのではないか。それならばいっそのこと全てを優先席にしてしまった方がいい。
少女の将来のためにも、自分の名誉のためにも一言その母親に言いたかったが、家庭にはそれぞれ家庭の教育というものがある。僕が「優先席というものはだね…」と熱く説教したところで怪訝な顔をされて変人扱いされるのがおちだ。僕は深く考えるのを止めて本に意識を戻した。
しばらくして中年のカップルが乗ってきた。僕の向かい側に来て座ろうとしたところで男が「あっ、ここ優先席だからあっちに行こうか」と言った。すると女の方が「バカね。ここは優先席であって占有席ではないのよ。お年寄りが来たら譲ればいいの」と言ってさっさと席に座った。ちょうど本にもうまく集中しきれずに同じ箇所をただ目でなぞっているだけだったし、二人のやりとりが見ていて微笑ましかったので、密かに眺めていたら、次の駅でおばあさんが乗ってきた。その瞬間、僕と中年のカップルの三人が同時に立ち上がり席を譲った。その光景がなんともおかしくてお互い顔を見合わせ笑ってしまった。席を譲られたおばあさんも、周りにいた人たちもみんな笑顔になった。車内には温かな空気が漂っていた…。